2011-04-01
本堂・お仏壇のお話 その③ ご縁を教えてくれる仏さま
浄土真宗の御本尊のお話です。
①では
浄土真宗のお寺の本堂や各家庭のお仏壇の真ん中に
どうして阿弥陀如来を安置するのかと問いかけました。
②では
阿弥陀さまや仏さまを考えるとき、
「私にとって」という言葉をつけて考えるようにしましょうと提案しました。
そして今回の③では、わたくし中村にとって「阿弥陀」とは何かをお伝えしたいと思います。
私は身を正し呼吸を整え手阿弥陀さまの前に着座し、手を合わせお念仏を称えるとき、つぎのことを全身で感じます。
あの時一緒にお経読んだおばあさん、あのお墓の前で一緒に念佛した家族、満堂の本堂で一堂に合掌する光景、
死んだ祖父のお経の声、父と本山晨朝勤行に通ったこと・・・
時に、仏事とは関係のない学生時代の友達から、昔のバイト先の人たち、留学先でのルームメートから入院した時の部屋仲間まで・・・
自分が出会った人を振り返れば、きりが有りませんね。
つまりわたしは、阿弥陀さまの前で合掌する時、これまでの人生で出会ってきた人たちと共に手を合わせた場面なり顔が思い出すのです。ご縁を感じてやまないのです。
どうして自分勝手なわがままで、目先のことばかり考えて、楽が大好きな私のような人間が、
こうしたご縁を感じるのでしょうね。とても不思議です。
同一に念仏して別の道なきがゆえに。遠く通ずるに、それ四海の内みな兄弟とするなり(曇鸞)
曇鸞(どんらん)というお坊さんの言葉ですが、念佛申すところで、同じ道を歩むことの有難さ、遠く通じる人と人のつながりに、私は頭が下がります。
ですから、私にとって阿弥陀さまとは、私にとって仏さまとは、私にとって本尊とは、
数限りない人との出会い、はかりしれないご縁、自分の身体に息づく人のつながりを、
感じさせて下さる存在であります。
ご縁を教えてくれ、ご縁を私に知らしめる仏さまが、私にとっての阿弥陀であります。
続きは、また書きます。
①では
浄土真宗のお寺の本堂や各家庭のお仏壇の真ん中に
どうして阿弥陀如来を安置するのかと問いかけました。
②では
阿弥陀さまや仏さまを考えるとき、
「私にとって」という言葉をつけて考えるようにしましょうと提案しました。
そして今回の③では、わたくし中村にとって「阿弥陀」とは何かをお伝えしたいと思います。
私は身を正し呼吸を整え手阿弥陀さまの前に着座し、手を合わせお念仏を称えるとき、つぎのことを全身で感じます。
あの時一緒にお経読んだおばあさん、あのお墓の前で一緒に念佛した家族、満堂の本堂で一堂に合掌する光景、
死んだ祖父のお経の声、父と本山晨朝勤行に通ったこと・・・
時に、仏事とは関係のない学生時代の友達から、昔のバイト先の人たち、留学先でのルームメートから入院した時の部屋仲間まで・・・
自分が出会った人を振り返れば、きりが有りませんね。
つまりわたしは、阿弥陀さまの前で合掌する時、これまでの人生で出会ってきた人たちと共に手を合わせた場面なり顔が思い出すのです。ご縁を感じてやまないのです。
どうして自分勝手なわがままで、目先のことばかり考えて、楽が大好きな私のような人間が、
こうしたご縁を感じるのでしょうね。とても不思議です。
同一に念仏して別の道なきがゆえに。遠く通ずるに、それ四海の内みな兄弟とするなり(曇鸞)
曇鸞(どんらん)というお坊さんの言葉ですが、念佛申すところで、同じ道を歩むことの有難さ、遠く通じる人と人のつながりに、私は頭が下がります。
ですから、私にとって阿弥陀さまとは、私にとって仏さまとは、私にとって本尊とは、
数限りない人との出会い、はかりしれないご縁、自分の身体に息づく人のつながりを、
感じさせて下さる存在であります。
ご縁を教えてくれ、ご縁を私に知らしめる仏さまが、私にとっての阿弥陀であります。
続きは、また書きます。
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